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2019-07-01 08:00 | カテゴリ:226事件を調べる
 歴史ってつながっているなと思います。
226事件の3年前には515事件があって、犬養毅首相が海軍青年将校によって射殺されています。
この515事件がなかったら、226事件につながらなかったと思います。
226事件がなかったら、その後の戦争はなかったはずです。

それでも、歴史って、おそらく、そんな簡単なことではなくて、その当時の多くの人の不安と不平不満が入り乱れて、発生させられたと思います。
226事件が326だったり426だったりで必然的に事件は発生するのだと思います。
イタリア・ドイツでも同時期に独裁国家が発生していったことを考えると、国民の思いからつくりだされた事件だったようにも思えてきます。

なので、できる限り今日の不満を満足に替えられるように過ごすことができたたなら、事件から遠ざかることができるかもしれないと思っています。

それでは今日も一日無理をしないでがんばっていきましょう!


2019-06-30 08:00 | カテゴリ:226事件を調べる
226事件は、なぜ失敗したかについて調べてみました。

・上層部に不平不満を持っていた
・上層部を闇討ちで消し去った
・新政府樹立のリーダーがいない
・天皇、社会から反乱軍とされた
・1500人の部隊がいてもほとんどの人が何のための部隊なのかさえ知らされていなかった
・包囲されて補給もできなくなったこと

不平不満は行動の強い原動力になるから、一概に悪いことばかりではないと思いますが、武力に頼って闇討ちで消し去ってしまうという行動は、社会から特に日本人からは理解を得ることはできないのでしょう。

226事件の理念とリーダーが明確にわからない。
特に兵糧が絶たれたら戦えないということがわかりました。
わずか82年前(1936年)の実際にあった事件です。

この事件をきっかけに、軍国主義体制が強まっていったよです。
2019-06-28 09:00 | カテゴリ:226事件を調べる
終戦時の内閣総理大臣が鈴木貫太郎
1945年(昭和20年)4月~8月
その前が小磯國昭
1944年(昭和19年)7月~1945年(昭和20年)4月
その前が 東條英機
1941年(昭和16年)10月~1944年(昭和19年7月)
終戦時の首相は東條英機だと思っていたので、気になって調べてみました。
二二六事件があってから、歴代の首相は、つねに陸軍の暴走やクーデターを阻止できる人か、担ぎ出された人で構成されていたようです


2019-06-27 06:46 | カテゴリ:226事件を調べる
鈴木貫太郎という人物
「日本の一番長い日」という終戦をテーマにした映画をみました
和平を使命として77才で内閣をやむおえず引き受けました。
今の世の中では、考えられませんが、当時の日本だと終戦させるということが、一筋縄ではいかずに、もっとも難しいことだったということかがわかりました。
国内反乱、クーデターを起こさせないという中では、鈴木貫太郎内閣なしでは収拾させることはできなったのかもしれません。
二二六では、襲撃され銃弾3発撃ち込まれ、大量出血で意識不明の重体から奇跡的に一命を取り留めています。
それから9年後、日本という国を終戦に持ち込むための使命を与えられた人のように思えます。
2019-06-26 07:46 | カテゴリ:226事件を調べる
安藤輝三がとゞめを刺さなかった鈴木貫太郎は9年後の終戦時の内閣総理大臣です。
鈴木貫太郎はいかにして戦争を終わらせるかという終戦内閣だったそうですが、もう少しだけ、早くポツダム宣言を受諾していれば、原爆投下を避けられたかもしれないとも言われています。
歴史にもしもはありませんが、何とかならなかったのか。
安藤輝三がとゞめを刺していたとしたら、鈴木貫太郎内閣にはなっていないので、あの戦争を止めることができずに、もっと酷い本土決戦に突入していたのかもしれません。
何度も死線を潜ってきた人の、ギリギリのところでの決断だったのかと思います。
二二六事件から終戦まで、歴史の不思議な巡り合わせです。
2019-06-25 06:54 | カテゴリ:226事件を調べる
安藤 輝三(あんどう てるぞう)という人物
(Wikipediaより引用)
岐阜県出身
二・二六事件に関与した皇道派の人物の一人で、軍法会議で首謀者の一人とされ死刑(31才没)となる。陸軍大尉。
決起に対しては慎重な態度を取り続け、あくまで合法的闘争の道を主張したため、磯部らは一時安藤抜きでの計画を検討した。
しかし安藤は最終的に、成功の見込みが薄いとは知りながらも、同志を見殺しにすることをよしとせず、直前の23日になって参加を決断した。
午前5時頃に鈴木貫太郎を襲撃した。はじめ安藤の姿はなく、下士官が兵士たちに発砲を命じた。鈴木は三発を左脚付根、左胸、左頭部に被弾し倒れ伏した。
血の海の中となった八畳間に安藤が入ると、「中隊長殿、とどめを」と下士官の一人が促した。安藤が軍刀を抜くと、部屋の隅で兵士に押さえ込まれていた鈴木の妻・たかが「お待ちください!」と大声で叫び、「老人ですからとどめは止めてください。どうしても必要というならわたくしが致します」と気丈に言い放った。
安藤はうなずいて軍刀を収めると、「鈴木侍従長閣下に敬礼する。気をつけ、捧げ銃」と号令し、たかの前に進み出て「まことにお気の毒なことをいたしました。我々は閣下に対しては何の恨みもありませんが、国家改造のためにやむを得ずこうした行動をとったのであります」と静かに語った。
たかの「あなたはどなたです」の問いに官職もなにも付けず「安藤輝三」とのみ答えたと伝えられる。この後、女中にも自分は後で自決をする意思を伝え、兵士を引き連れて官邸を引き上げた。
鈴木は安藤処刑後に「首魁のような立場にいたから、止むを得ずああいうことになってしまったのだろうが、思想という点では実に純真な、惜しい若者を死なせてしまったと思う」と記者に対して述べている。
また「安藤がとどめをあえて刺さなかったから自分は生きることができた。彼は私の命の恩人だ」とも語っている。
2019-06-24 14:26 | カテゴリ:226事件を調べる
二二六事件について調べてみました。
1936年2月 26~29日,東京で,国家改造を目指す陸軍青年将校が陸軍部隊を率いて反乱,クーデターを試みた事件です。
約1500人の部隊が、首相・蔵相官邸、警視庁はじめ、政府首脳や重臣の官・私邸、朝日新聞社などを襲撃しました。
大蔵大臣の高橋是清、内大臣の斎藤実、陸軍教育総監の渡辺錠太郎らが殺害され、鈴木侍従長が重傷を負いました。
部隊は首相官邸・陸軍省・警視庁などの重要地点を占領しました。
クーデター側からすれば、命がけの計画は成功したはずなのに、本当の目的が何だったのか?
これだけの大きなクーデターがわずか3日で終わってしまうとは、何を目的としていたのか大きな疑問を持ちました。
もう少し調べてみたいと思いました。